
園長先生のおはなしバックナンバー
25/6/18 2:45
2025年度
〈4月のえんだより〉
ご入園、ご進級、おめでとうございます。
春を迎え、代わるがわる木々の花々が開花するのを見ると、新年度の始まりへの祝福を感じ、嬉しくなります。今年は花冷えの期間が長かったので、例年以上に、花々の美しさを通して、全てを創られた神様のすばらしさを感じました。
入園されたお友だちにとっては、最初は期待と不安が入り混じることもあるかもしれません。その気持ちにしっかり寄り添い、新たな一歩に踏み出すことが出来るよう、全力サポートしていきたいと思います。聖クララ幼稚園の生活は、ワクワクする、とても楽しい毎日ですから、そこに向けて、子どもたちの気持ちをしっかりと受けとめ、暖かく寄り添い、導いいきたいと思います。その時々の状況を踏まえ、一人ひとりに適った支えを心がけます。子どもたちの中に輝くいのちの可能性を、大切に育んでいきたいと思います。まずは、笑顔で元気に登園し、楽しい園生活が送れるように日々の活動を大切に進めて参ります。どうぞ御家族の皆様も温かく見守って下さい。
ばら組・ゆり組に進級した子どもたちは、聖クララ幼稚園のお兄さん、お姉さんとしての新たな生活が始まりました。ゆり組のお友だちは1年後に就学を控えた最上級生。ばら組のお友だちは、お兄さん、お姉さんとしての第一歩を踏み出す1年。そこには様々なチャレンジがありますから、やはり戸惑う事があるかもしれません。一方、下のクラスのお友だちを助けてあげたり、励ましてあげたりすることの喜びを感じることもたくさん出てくると思います。これこそが、成長のあかしと思いますが、成長する過程には、喜びがあり、そして少し辛いと感じることも必ずあります。このハードルを乗り越え、成長していくことが出来るよう、私たちは暖かく子どもたちに寄り添っていきたいと思います。何よりも、明るく楽しく日々を過ごせるよう深く関わって参ります。ご心配な事やお困りの事など少しでもありましたら、気軽にお声をかけて下さい。
自然の美しさを感じるこの季節、神さまの創造された世界のすばらしさを味わい、感謝し、その喜びを力に歩むことが出来たらと思います。今年度も教職員一同、心をひとつにして子どもたちの健やかな成長を願い励んで参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
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2024年度
〈3月のえんだより〉
早いもので3月、卒業、進級の節目を迎えました。子どもたちと共に過ごした日々を思い起こしながら、一人ひとりの成長を深く感じます。人間は、生涯に渡り可能性を帯びた存在だと思いますが、聖クララ幼稚園の子どもたちの裡には、様々な既定のわくぐみの影響にとらわれない、みずみずしい可能性が充満していることを感じま す。
入園時と比べると、色々なことがわかるようになり、出来るようになってくることは、確かに成長のあかしです。でもそれは成長の一つの側面です。私は成長するといことは、個々の存在の可能性を限りなく拓いていくこと、紆余曲折を経ながらも、個性を開花させていくことだと思います。それを実現する力を育むことが教育の役割だと思います。
聖クララ幼稚園のお友だちの内には、思いやりの心が育っています。思いやる心、人を大切にする心は、日々の生活の中で、お互いに助け合い、支え合いながら生きていくことの柱となる心です。この心を柱として生きる時、様々な困難を乗り越える力を得ることが出来ます。それは共に生きる力です。共に生きる力こそが、一人ひとりの可能性を拓き、個性を開花させることに繋がるのだと私は信じています。
3月の聖句は「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった・・・」です。イエス様の教えの中心は、互いに愛し合うことの大切さでした。それがイエス様の教えの全てであったともいえます。その教えを聞いてすばらしいと感じるだけでなく、一人ひとりが、愛し合うことを柱に生きていくとすれば、様々な困難に遭遇しても、堅固ジだと思います。愛は何物にもかえがたい生き る力です。成長することは、愛する力を育むことでもあると思います。それは朽ちることなく、無限に広がる力です。それは愛されることを通してのみ育まれていきます。聖クララ幼稚園の子どもたちは、お互いを大切いし合うことを学んでいます。そこに愛する力が育まれていることは確かです。
卒業、進級に向けた締めくくりの月。新たな飛躍に向けた旅立ちの時、皆が共に、喜びをもって羽ばたいていけるよう、導いていきたいと思います。
〈2月のえんだより〉
2月になりました。作品展に向けて、子どもたちは様々な準備に取り組んでいます。そして、その後は、進級、卒業・就学に向けた最後の締めくくりの歩みとなります。毎年この時期になると、時が瞬く間に過ぎ去っていってしまうことを痛切に感じます。ですが、子どもたちの変化、成長をみる時、時を積み重ねて歩むことの恵み、豊かさを実感します。スタートとゴールを繰り返しながら、壁を乗り越えて、目標をクリアしていこうとすることに、本当の喜びがあることを子どもたちが教えてくれているように感じます。私も、見倣って頑張ろうと思いました。
2月の聖句は「義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのである」(マタイによる福音書5章10節)です。毎月の聖句は、かなり昔の園長先生がお決めになりましたが、今月の聖句は本当に難しいと感じました。迫害されることが、幸いといえる本当の意味は何なのか考えてしまいます。確かにキリスト教は、そもそもイエス様の十字架に始まり、迫害の歴史の中で、多くの殉教者を生みながらも世界中に広がったという事実もあります。しかし、イエス様をはじめ、殉教した聖人たちの生涯を見ていくと、主義主張のために狂信的にいのちを投げ出したわけではないことがわかります。そこに共通しているのは、狂信ではなく、愛するがゆえにいのちをもささげたという生き方でした。
聖書の中に出てくる「義」という言葉の原語的意味は、愛し合う関係です。神と人、人と人との愛し合う関係性を義という言葉で表現します。キリスト教では愛は究極の掟であり、至高の価値観です。それを生きようとすることが、救いに至る唯一の道です。一方、この世の価値観の中には、愛と対立するもの、愛を阻むもの、愛を歪めるもの等があり、その狭間で葛藤しながら私たちが生きていくという現実もあります。葛藤の中で味わう苦悩や悲しみを、愛することと対立する価値観からの迫害ととらえることも出来ます。マザー・テレサは、愛を貫こうとして、多くの苦悩を担った人でもありました。マザー・テレサの苦悩を引き受けることを通して、朽ちることない本当の喜 びを見出していったのがマザー・テレサの生涯でした。愛に生きようとすることに、様々な難しさ、不条理さ、苦しみが伴ったとしても、その生き方を深めようとする時、神様は、それを乗り越える力としての希望と喜びを与えてくださるといことが、イエス様のメッセージであると思います。
子どもたちも、お友だちと仲良く、楽しく過ごそうとしていながら、時には壁にぶつかり、つらい思いをすることがあります。でも、いつもそれを乗り越えようとして、あきらめずに努力しています。それが本当の喜びにつながることがわかるのだと思います。このようなことを大切にしながら、これからも導いていきたいと思います。それこそが、幼稚園で学ぶ一番大切なことだと思います。
〈1月のえんだより〉
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
2学期の締めくくりは、キャンドルサービスと聖劇でした。クリスマスに向け練習を積み重ねていくことは、子どもたちにとって様々な難しさ、大変さがあっただろうと思いますが、その積み重ねの結果は、本当にすばらしかったです。皆で本当のクリスマスの喜びを分かち合うことが出来たと思います 。
教会のクリスマスは12月24日の夜に始まり、1月12日に祝う「主の洗礼」の祭日まで続きます。この期間に、様々な観点から救い主がお生まれになったことをお祝いしますが、1月1日は「神の母マリア」の祭日で全世界の平和のために祈ります。
救い主は平和の君としてお生まれになりました。そして、様々な困難、屈強があったにも関わらず、マリアとヨセフによって築かれたイエス様の家庭は、平和に満ちたものでした。
現代においても、イエス様がお生まれになった地を含めて、世界の各地で戦乱が止まない日々が続いています。多くの人々、子どもたちが困難や苦しみ、悲しみに苛まれながら生きていかざるを得ない状況があります。戦乱だけでなく、凶悪な犯罪、自然災害、事故の犠牲になった人々のことを考えると胸がいたみます。
1月の聖句は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)です。平和を実現することは、私たちにとって可能なことなのでしょうか。誰もが、平和を願っていると思いますが、平和を実現する人々とは、どのような人々なのでしょうか。戦争や紛争を終わらせることが出来るかという視点で考えるとき、現実として、それが出来る人は限りなく少ないのではないかと思い ます。事実として、争いが絶えたことはありません。
聖書の中にたくさんの「平和」という言葉を見出すことができます。聖書の言葉であるヘブライ語の挨拶は「シャローム」です。通常の挨拶で、いつでも使われる挨拶の言葉ですが、その意味は平和です。お互いに平和を分かち合うという心を表す言葉です。まずは平和を分かち合う心が大切だということだと思います。聖書における「平和」は、戦争がない状態だけでなく、お互いを尊重し、許し合い、いたわりあい、支えあって、生きようとする道だと思います。その模範は、平和の君であるイエス様に倣うことが出来ます。子どもたちと共に、平和の道を歩んでいきたいと思います。
<12月のえんだより>
今年も聖劇、聖歌の練習等、クリスマスの準備が始まりました。幼稚園の待降節は教会の待降節より一足先に始まりますので、ホールには馬小屋が設えられ、アドベントカレンダーの日めくりも始まりました。アドベントカレンダーは、イエスさまをふさわしくお迎えすることが出来るための毎日の心がけ、取組を重ねていくために使う暦です。暦を通して、イエス様をお迎えする心の準備をしていきます。
待降節の意味は、約2000年前にお生れになった救い主であるイエス様を思い起こし、世の終わりに再び、栄光に満ちたお姿でおいでになる救い主を待ち望む時です。世の終わりは神の国の完成の時、全ての悪が滅ぼされ、あらゆる苦しみや悲しみが拭い去られ、真の救いが実現する時です。再びおいでになるイエス様を相応しくお迎えするためにどうしたら良いか。それは私たち一人ひとりに問われた課題です。
人となられたイエス様はベトレヘムという小さな町の馬小屋でお生れになりました。当時の権力者は自らの権力を守るためにお生れになる救い主を無きものとするため、夥しい数の幼子を虐殺しました。また宗教的指導者等、社会の上層部にいる人たちは、救い主が武力でローマ帝国を駆逐し、強いイスラエルの王権を確立すると確信しており、真の平和を実現する救い主を理解することが出来ませんでした。
イエス様のご降誕を心から喜ぶことが出来たのは、マリアとヨセフ、そして社会の中で蔑まされ、疎まれた貧しい羊飼いたちでした。また、異邦人、異教徒として忌避されていた三人の博士たちでした。博士たちは、遠い道程を旅して、幼子イエス様のお誕生をお祝いしました。平和の君を待ち望むわずかな人たち、そして羊やロバといった動物たちに囲まれ、イエス様はお生れになりました。
イエス様がお生れになった場所、馬小屋は、人が生まれる には最も貧しく、相応しくない場所であったかもしれませんが、そこには大きな喜び、真の平和がありました。馬小屋は愛に満ちていて、あらゆる悲惨さを拭い去る地平を拓くものでした。
現在のベトレヘムはパレスチナ暫定自治区に属しており、戦乱の苦境化にあります。多くの人々が殺される戦火、数えきれないほどの子どもたちのいのちが失われ続ける世界、このような中で、私たちはどのようにクリスマスを迎えることが出来るのでしょうか。
つたなくはあっても、私たちが幼子イエス様をお迎えする暖かい馬小屋となるよう日々の生活を改めていくこと、平和のために祈ること、そして幼稚園の子どもたちのように、日々のアドベントカレンダーを繰っていくことを心掛けたいと思います。
クリスマスは愛と平和に満ちた家族のお祝いでもあります。クリスマスの恵みが、皆様の上に豊かに注がれるよう、お祈りいたします。
<11月のえんだより>
運動会が終わり、子どもたちは一回りも二回りも成長し、次の目標に向かって歩み始めている姿を見ると頼もしく感じます。
11月の聖句は「憐み深い人々は幸いである」です。以前も紹介したイエス様の山上の説教の一つです。幼稚園ではこの言葉を大切にしながら、感謝する心を深めていきたいと思います。
「憐れむ」という動詞は、ギリシア語、ヘブライ語に遡る古代語を起源とする言葉で、「いつくしむ」と訳すことも出来ます。そこにはお母さんがお腹の中で赤ちゃんを育むという意味が含まれています。何があっても、そのような、包み込むような心で相手に向き合うこと、それが憐みであり、いつくしみです。
私たち皆は、神様から愛され、いつくしまれ、憐みを受けて、この世に生まれてきました。人生の紆余曲折の中で、そのことに気づく機会は少なくあません。それは特に、皆で共に生きる中で、他者から愛される体験を通して得られる気づきです。お互いに大切にされ、愛され、いつくしみを分かち時、感謝の心がわいてきます。感謝の心を言葉にすることは、相手を大切にする、積極的な姿勢です。感謝の心を言葉と行いで分かち合うとき、お互いが喜びに満たされます。
お互いが、感謝しあい、喜びに満たされるプロセスを通して、自己肯定感が豊かに育まれます。このように育まれる自己肯定感は、困難をのりこえて社会を生き抜く「非認知能力」を飛躍的に伸ばす大切な柱となりま す。
聖クララ幼稚園は、子どもたちを、いつくしみ育むことを通して、このことを実現したいと考えております。
<10月のえんだより>
ようやく少しですが、暑さが和らいできてほっとしています。夕方から夜にかけては虫の音も聞こえ、秋らしさも感じます。
子どもたちは運動会に向け、日々、頑張って練習に励んでいます。大変なこともあるかもしれませんが、目標に向けて頑張っている姿は本当に素晴らしいです。保護者の方々のご協力も連日いただいており、感謝に堪えません。
色々難しいことや、苦しいことがあっても運動会という1つの目的に向かって皆で力を合わせていくことから子どもたちは多くを学んでいきます。力を合わせて頑張るとき、お友達同士のお互いの絆は深まります。支えあい、助け合うことを通した学びも深まります。その結果として技量も高まっていきます。ですが、何よりも大切なことは、共に生きる力が育まれることです。この学びは、生きていくうえで一番大切な学びであると私は思っています。それは、これからのグローバルな地球社会が良い方向に発展 していくために、決して欠かすことのできない学びであると私は信じています。
10月の聖句は「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。」というイエス様の言葉です。柔和という言葉には、謙遜、優しさ、穏やかさ、忍耐強さ、というような意味があります。イエス様ご自身が、優しい方だったことに基づいています。柔和という言葉の聖書的な語源(ヘブライ語、ギリシア語)には、優しいという意味だけでなく、苦しみや悲しみという意味も含まれています。この言葉は、優しく、穏やかになれるために、自己犠牲が伴っていることを暗示しています。柔和さは、相手と向き合う姿勢であり、相手を大切にしたいという愛の心に基づくものです。自分自身を少しでも犠牲にして、相手の善のために関わろうとする姿勢、それが柔和さです。そういう意味では、柔和な人は本当に強い人であるということが出きると思います。本当の強さが無ければ、真の柔和な人にはなれません。言い換えれば、確かな生きる力を持っている人こそ、柔和な人であるということが出来ます。イエス様という方はそのような方でした。
聖クララ幼稚園の子どもたちは、本当に優しいです。練習でなかなかうまくいかない時でも、お友だちを中傷したり、不機嫌になったりするのではなく、いろいろ教えあったり、助け合ったりする道を選ぼうとしています。そういう姿勢は本当にすばらしいです。
間近に迫った運動会に向けて頑張っている子どもたちを教職員一同、全力で支えていきたいと思っております。
<9月のえんだより>
長い夏休みが終わりました。
今年の夏も本当に暑かったですが、皆さんが家族やお友だちと共に過ごし、普段は味わえない様々な体験を通して楽しく過ごすことが出来たとしたら幸いです。楽しく過ごした時間は、成長の糧です。それは生きる力を育む基になります。「楽しかった貯金」という言葉で、私はこのことの大切さを子どもたちに伝えています。楽しかった体験を通して力を蓄えること、そして、その力を皆で分かち合うことの大切さ。皆で分かち合うとき、楽しかった貯金はさらに増えていくものだということ。日常の楽しさ、喜びは分かち合うことによってさらに深まっていくものですが、愛された喜び、大切にされていると感じることの喜びは本当の喜び、朽ちることない喜びです。その喜びを分かち合うことこそ、生きる上で必要な最も大切な力を育みます。
さて、いよいよ2学期が始まりました。2学期には様々な行事があります。それは、とても楽しい行事ですが、皆で力を合わせて創りあげて いく行事です。日々の練習は少し大変かもしれませんが、その大変さも目標に向かって歩む上では、とても大切なことです。この、少し大変なことを乗り越えていく時に「楽しかった貯金」はとても役立ちます。ぜひ、存分に使ってもらえたらと思っています。
9月から運動会の準備も始まります。夏休み明けで、環境が急に変わるという面もあって、少しつらかったりすることもあるかもしれません。でも、大丈夫です。先生たちの強いサポートがあります。お友だち同士も、支えあい、励まし合い依、助け合うことが出来ます。そのように導いていきたいと思います。皆で練習に参加していくことは、技量の向上につながるだけでなく、何よりもお互いの絆を深めていく歩みになります。この歩みを通して、実り豊かな、本当に楽しい運動会の準備が出来たらと思います。
今月の聖句は「義に飢え渇く人々は、幸いである・・・」というイエス様のメッセージです。・・・幸いである!!と繰り返される有名なイエス様の山上の説教といわれる部分の一つです。ここにある"義"という言葉の意味は正義と解釈されますが、私たちが理解しているいわゆる正義とは異なる意味をもっています。イエス様が語られる正義とは、神様の愛そのものです。もっと単純にいうと、私たち1人ひとりは神様にこよなく愛された存在であり、そのことが神様の正義であるということです。飢え渇くという言葉は、強く追い求める、渇望する、限りなく希求していくという強い表現です。人間関係においてもそうですが、私たちは愛される体験をすると、益々、その愛を追い求めていきます。お互いの関係性においては、相手の愛を追い求めることと、愛されるがゆえに相手を愛することは一体です。こうしてお互いの愛を深めていくことは必ず報われることをイエス様は約束されたのです。
2学期の様々な活動は、このことを学び、実現していく大きな機会です。元気に楽しく、子どもたちと共に歩んでいきたいと思います。
<7月のえんだより>
今年の梅雨は平年より2週間以上遅く、ようやく最近になって入梅が報じられました。かつての梅雨とは異なり、雨が降れば豪雨となったりする一方、晴れれば真夏のように気温が上昇する等、気候が大きく変動していることを感じる毎日です。このような中、幼稚園においても体調管理を徹底し、元気で楽しく過ごすことが出来るよう、きめ細かく保育を行っていきたいと考えています。
健康に気をつけることが大切であることは誰もが知っています。病気になると大変ですし、身体を壊すときは苦痛が伴います。治療も時には楽ではありません。元気に越したことはありません。です が、健康である意味はそれだけではありません。
元気であることによって、私たちは周囲の人と喜びを分かち合うことが出来ます。例えば、家族や友人と楽しく食事をすることも、健康であるからこそ出来ることです。自分自身が美味しく、楽しく過ごすだけでなく、皆がそのように過ごし、喜びを分かち合うことが出来る、それによって、お互いの関係性を深めることが出来ることになります。このような分かち合いは、お互い助け合い、支え合うことの基となります。それはイエス様が教えてくださった最も大切なこと、互いに愛し合う生き方そのものです。元気に楽しく暮らすことが出来る身体でいることは、愛し合うことを学ぶための土台にもなると言えます。
もう一つは、身体を丁寧に手入れしながら、上手に使っていくことの大切さです。生命が宿る身体は神様からの最大の贈り物です。よく手入れをしながら、練習を積み重ねることによって身体能力は限りなく拓かれていくことを私たちは知っています。今年はパリでオリンピック、パラリンピックが開催されますが、この世界的な祭典も、身体と心を大切に育み、最大限に輝かしく活かしたことの証しです。それは、多くの人々に感動、喜びをもたらし、希望を与えるものです。オリンピックのような大それたことでなくても、健康に気をつけ、身体を育むことは、他者を元気づけ、希望を与える大きな可能性を帯びています。このこともイエス様の教えに添っています。
7月の聖句は「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」です。なぜそのようなことをイエス様がおっしゃられたか疑問が湧いてきます。悲しみや苦しみは決して願わしいことではないです。しかし、悲しみや苦しみを避けて生きることは出来ない現実があります。生きている以上は、必ず遭遇することです。なぜ悲しみや苦しみがあるかということを理解しつくすことは出来ません。しかし、私たちは、悲しみや試練、苦しみを通して、私たちが多くのことを学び、成長することを知っています。困難さの中で、周囲の人々に支えられながら、乗り越えることが出来た体験は、お互いの絆を深め、その結果、自己肯定感を高める結果をもたらします。お互いが支え合えるために最も大切なことは、悲しみや苦しみを共感し合うことです。共感することは、人間に与えられた最も美しい力の一つだと思います。これは、神様の恵み、計らいによってこそ成せることです。イエス様ご自身が、悲しむ人々、苦しむ人々と共感し、寄り添う方でした。ある時、親しい人の死に接して、大いに泣かれたそうです。イエス様が泣いてくださったことは、大きな慰めになったにちがいありません。共感できることは、相手を慰め、支え、力づける上で、本当に大きな力です。
さて、この力を発揮するためにも健康に気をつて参りたいと思います。高温多湿の毎日となりそうです。皆様のご健康のために心からお祈りいたします。
<6月のえんだより>
6月は生命の力が萌え輝く季節です。和暦では水無月と言いますが、これは田んぼに水がなかったところに水を張り、稲の苗を植える時、という意味です。豊作への願いを込めて、小さな苗を上ますが、稲は水を吸収し日ごとに成長していきます。稲の成長に必要なのは大自然の恵み、そして人の手です。良いお米として実るためには、人の手が必要です。大自然は神の恵み、そして、その恵みを活かして人が創意工夫しながら、苦労してでも手をかける時、私たちは大きな実りを分かち合うことが出来ます。
聖クララ幼稚園のお友達にとって、この季節はどろんこ遊びを楽しむ時です。様々な体験、学びがあります。見るだけでなく、身体の感覚を通して自然に触れることにより、子どもたち一人ひとりは、色々なことを発見すると思います。こうした体験が、生きることの喜びを紡いでいくことは確かです。その喜びが、生きる力そのものだと私は思います。そこに寄り添うことは、私たちの役割です。
6月の聖句は、心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものであるです。心の貧しい人という表現は難しいですが、言語的な意味から解釈すると、自 分の弱さ、小ささを認める謙虚な人という意味になります。そういう人々の弱さの内にこそ、愛に満ちた神様が住まわれ、共に歩んでくださるということが、イエス様がもたらされた福音です。
この福音は共に生きる交わりの中で実現します。共に生きる場はお互いを大切にし、助け合い、支え合うためのルールがあります。幼稚園の生活に溶け込むルールも、自分を大切にし、お互いを大切にしあうルールです。このことを大切にしながら歩むとき、きっとイエス様との出会いがあるはずですし、豊かな祝福を分かち合うことが出来るのだと思います。
<5月のえんだより>
青葉、若葉に風薫る心地よい季節を迎えました。カトリック教会で5月は聖母マリアの月でもあります。春から初夏に向かうこの月は、いのちの豊かさに力づけられ、希望を膨らます時だと思います。
毎朝、登園してくる子どもたちの姿を見ていると、そのことを強く感じます。入園、進級し、新たな環境を受け入れ、嬉々として過ごす子どもたちの姿を見るとき、神さまから授かったいのちの輝きを感じます。その姿を見る時、いのちは日々成長するものであり、そのいのちを育むことは大人の責任であること を強く感じます。子どもたちの何気ない日常の中にも、いのちに内在する壮大な力、何物にも代えがたい美しさが満ちていることを、大人である私たちはもっと認め、受け入れることが大切だと思います。
5月、聖クララ幼稚園では特にマリア様のことを思い起こします。マリア様は、イエス様の母です。母として、イエス様を大切に育まれました。経済的には決して豊かではありませんでしたが、マリア様は愛に満ち溢れた家庭の要として、自らの子に愛情を降り注ぎました。福音書の記述をみると、マリア様は時には厳しいお母さんでもありました。間違った道に進まないよう、子どもを大切に思うがゆえに、愛情を込めて、躊躇なくイエス様を叱ることもありました。また、思いやりのあるお母さんでした。地域のお付き合いの中で、このようなことがありました。ある家の婚礼にマリア様がイエス様と共に招かれた時のことです。当時の婚礼は1週間も続き、盛大なものでした。その盛大な婚礼で葡萄酒が足りなくなってしまったのです。あまりに盛大で飲みつくされてしまったのでした。このような事態は当時としては一大事で、お祝いに来られた方に対しては大変失礼なこととされていました。それに気づいたマリア様は密かに、さりげなくイエス様にそのことを伝え、その結果イエス様は水を葡萄酒に変えるという最初の奇蹟を行いました。マリア様の思いやりの心がイエス様の心を動かし、イエス様は神としてのわざ=奇跡を行うことになったのです。マリア様の愛は、子であるイエス様にも、周囲の人々にも余すことなく向けられていました。これが母としてのマリア様の心です。マリア様の愛は、日常の普通の生活の中にある、人を大切にする心の完成形と言えます。イエス様は、このような人々のことを「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る」と称賛していますが、そのモデルはお母さんの姿であったと思います。そしてお母さんの愛を深め、全うしていくとき、愛の源である神様との出会いがあることをイエス様はお伝えになりたかったのだと思います。
マリア様は私たちの皆の母でもあります。カトリック教会では古代からマリア様を通して祈ることを大切にしてきました。困ったこと、願い事、神さまの助けが必要な時にマリア様を通して祈ります。マリア様はイエス様のお母さんですから、お母さんにお願いをして、イエス様にとりなしていただくのです。思いやりに満ちたお母さんですから、私たちの拙い祈りを確かに神さまのもとに届けてくださいます。5月、幼稚園ではたくさんの祈りや歌をマリア様にささげます。ご家族の皆様の上にも、たくさんのお恵みがありますように!
<4月のえんだより>
ご入園、ご進級、おめでとうございます。
暖かな春の風を感じながら、復活祭の喜びのうちに、今年も、元気な新しいお友達をお迎えすることができましたことに心から感謝したいと思います。子どもたちは神様が私たちにお与えくださった、かけがえのない、大きなお恵みです。神様のいのちの輝きを帯びて皆様のご家庭に生を受けた子どもたちを大切に育むことが出来るよう、教職員一同全力を尽くしてまいりたいと思います。
新たに入園さ れた子どもたちにとって、最初は期待と不安が入り混じり、時には悲しくなったりすることは自然なことです。大好きなお母さんと離れなければならないのですから当然です。聖クララ幼稚園では、ひとりひとりのお子さんの気持ちをしっかりと受けとめ、暖かく寄り添って参ります。その時々の状況、一人ひとりに適った支援を心がけて参ります。私たちは、一人ひとりの子どもたちの中に輝く個性を見出し、それを大切に育んで行きたいと思います。まずは、笑顔で元気に登園し、楽しい園生活が送れるように日々の活動を大切に進めて参ります。どうぞ御家族の皆様も温かく見守って下さい。
ばら組・ゆり組に進級した子どもたちは、聖クララ幼稚園のお兄さん、お姉さんとしての新たな生活が始まりました。ゆり組のお友だちは1年後に就学を控えた最上級生。ばら組のお友だちは、お兄さん、お姉さんとしての第一歩を踏み出す1年。そこには様々なチャレンジがありますから、戸惑う事があるかもしれません。緊張することもあるかと思います。少し辛いと感じることも出てくるでしょう。それでも、このハードルを乗り越え、成長していくことが出来るよう、私たちは暖かく子どもたちに寄り添っていきます。時には感じる緊張や不安を和らげ、安心して自分の気持ちを表現し、明るく楽しく日々を過ごせるよう深く関わって参ります。聖クララ幼稚園は一つの家族のような共同体です。
先日、世界中のキリスト教会は復活祭を祝いました。イエス様は私たちを救うために苦しみを受け、十字架にかけられ死に、三日目に死者の内から復活されました。復活されたイエス様は聖霊のお姿で、私たちの間にいらして、いつも私たちを支え導いてくださいます。私たちを家族のようにひとつに結んでくださいます。聖クララ幼稚園も、そのような家族ですから、お互い、助け合い、支え合いながら歩んで参りましょう。何か心配な事やお困りの事などありましたら、いつでも声をかけて下さい。いつでも御相談に乗れるようお待ちしております。
いつも変わらない慈しみで見守って下さる神様の愛を信頼し、希望を持ってこの一年を歩んで参りましょう。
今年度も教職員一同、心をひとつにして子ども達の健やかな成長を願い励んで参ります。どうぞ皆様の御協力をお願いします。
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2023年度
<3月のえんだより>
このところ、寒暖の差が激しく、身体も心も、それに適応させていくのがなかなか 大変な年齢になってきたなと感じます。いよいよ年度末を迎えますね。そんな中で、この1年の子どもたちの成長を見ていると、大人として、とても励まされ、力づけられ、元気をもらうことがしばしばあります。毎朝登園してくる子どもたちに会うだけで、とても元気になります。そして今日も一日頑張ろうと思います。
子どもたちの姿を見ていて、成長するということは、どういうことかと考えてみました。色々なことがわかり、出来るようになってくることは、確かに成長のあかしです。それは可視的でわかりやすい成長の結果です。その背後には多くの人の支えと、子どもたち一人ひとりの努力があり、その実りとしての結果があるのだと思います。
ところで私は昨年の夏休みの終わりに行われたクララ祭で花火の打ち上げの際に、目の周りを火傷しました。せっかく楽しい時だったのに、子どもたちをびっくりさせてしまって申し訳ないなと思っていました。でも、たくさんのお友だちが本当に心配してくれて、優しい言葉をかけてくれました。とても嬉しかったです。最近でも「もう痛くない?大丈夫になった?」と声をかけてくれる子が少なくないです。とても嬉しいと同時に、子どもたちの中に育っている、他者を思いやる心を感じました。
思いやる心、人を大切にする心は、日々の生活の中で、お互いに助け合い、支え合いながら生きていく ことの柱となる心です。この心を柱として生きていくことが出来れば、様々な困難を乗り越えることが出来るでしょう。それは愛の力そのものだと思います。
イエス様の弟子の1人にヨハネという人がいました。一番若かった弟子で、他の弟子と違って、イエス様が十字架にかけられたときも、イエス様のもとを決して離れなかった唯一の弟子でした。ヨハネは新約聖書の中で、愛について繰り返し語っています。ヨハネが伝えようとしたことは、愛のみであり、ヨハネにとって神さまは、愛そのものでした。このことをヨハネが確信するようになったのは、神さまの愛を目の当たりにし、その愛に包まれて生きることが出来たからです。ヨハネは若いころは「雷の子」とイエス様から呼ばれたほどに、荒っぽい性格の人でしたが、愛された体験から、生涯をかけて愛する人に変容していきました。
愛は何物にも代えがたい生きる力です。成長することは、愛する力を育むことでもあると思います。それは朽ちることなく、無限に広がる力です。それは愛されることを通してのみ育まれていきます。
聖クララ幼稚園の子どもたちの愛する力は確かに育まれてきています。お友だち同士、先生方とのやり取りの中に、相手を大切にする姿勢がよく表れてきています。これが本当の成長の証だと思います。
3月は卒業、進級に向けた締めくくりの月。それは新たな飛躍に向けた、旅立ちの時でもあります。ひとつのことが終わるということは、もうすでに、新たな出発の入り口をくぐったということに他なりません。聖クララ幼稚園のお友だちが、進学、進級に向け、力いっぱい羽ばたいていけるよう全身全霊でサポートしていきたいと思います。
<2月のえんだより>
1月の下旬から寒い日が続いています。元旦に突然襲った震災の被災地のことを思うと、心が痛みます。出来る限りの支援をしたいと思いながらも、ほとんど何も出来ない自分の無力さを感じます。大雪にも見舞われ、極寒の中で困難な生活を強いられている被災地の方々がおられる一方で、安寧に過ごすことが出来る私がいるということはどういうことか。どうして神さまはこのようなことをおゆるしになるのか。疑問が疑問を呼び、あげくの果てに不条理さを感じてしまいます。
年明けの大掃除の日、「お正月は楽しかった?」とたずねると、あるお友だちが「とってもかわいそうだった」と答えてくれました。お正月は子どもたちにとっても大人にとっても特別な時であり、家族で喜びを分かち合うかけがえのない時です。そうすることは、とても大切なことです。その子にと っても、楽しいお正月であったと思います。だからこそ、テレビを観た時、とてもかわいそうに感じたのだと思います。小さな子どもにとって、あの映像の衝撃は大きすぎるのではと少し心配になりましたが、「かわいそうだった」という言葉に、私はぬくもりを感じました。被害を受けた人たちを思いやる心。その力は大きいなと感じました。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章15節)という言葉が聖書の中にあります。キリスト教迫害の先頭にたった人ですが、イエス様と出あってから一転し、使徒となったパウロの言葉です。私たちが共に生きようとする時に、共感する力はとても大切です。ですが、それ以上に、これはイエス様ご自身の生き方であり、愛そのものです。私たちが生きていくうえで最も大切な柱となるのは愛です。愛とは神さまが、私たちにくださった真に生きる上で必要な力です。それは聖クララ幼稚園の柱でもあります。
神様に信頼し、お互い共感し、支え合い、助け合って愛に生きようとする時、希望というもう一つの力が私たちの歩みを力強く牽引していく。そうすると、どんな時でも喜びを見出すことが出来るとパウロは言っています。
出来ることは小さくても、思いやる心、共感する心は祈りに他ならないと思います。神様は、そのような無垢な祈りを聞きいれてくださるだろうと思い ます。それを絶やさず歩んでいきたいと思います。
年度末も押し迫っています。様々な行事もあります。就学に向け、また進級に向けた最後の準備の期間です。一日一日を大切に、愛する心を柱に、子どもたちを支えていきたいと思います。新年度に向け希望を温めながら。
〈1月のえんだより〉
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
新年を祝うことは、世界中の文化に根付いた大切な慣習です。新たな年に希望をいだき、その実現に向けて心を新たにすること、それは全ての人にとって大切なことだと思います。しかし、私たちの周囲には激しい戦争が止むことなく続き、多くの人々が、特に弱い立場にある人々が悲惨で過酷な日々を送らなければならない現実があります。戦争という現実は人間が作り出したものです。それは究極的には人間の心が生み出した現実、争う心、互いの違いを受け入れ合わない心、他者をゆるさない心、そのような日々私たちが陥りやすい心が、時には争いとなり、互いに殺し合う戦いにまでになってしまうのだと私は感じます。
教会 では、12月25日のクリスマス以降、1月8日の主の洗礼の祭日まで、イエス様のご降誕のお祝いをしました。そのお祝いの期間の元日1月1日は神の母マリアの祭日で、教会はこの日を「世界平和の日」としてお祈りをささげます。この日には再び、イエス様がお生まれになり、飼い葉桶に寝かされ、マリア様とヨセフ様に見守られながらすやすやと眠っておられることを記した聖書の言葉を聞きます。
困難なさなかにあっても、この家庭には平和があったのです。これがクリスマスのメッセージのひとつです。平和の基は家庭にあり、家庭の平和が、社会に浸透していく、それが世界平和にまでつながること、これこそがイエス様が自ら人としてお生まれになることによってお示しになった模範だと思います。
聖クララ幼稚園は子どもたちにとっても一つの社会です。様々な個性が共存し共に歩み学びあう社会です。聖クララ幼稚園はお互いの違いが良いことであり、それがとても素敵なことであることを学びあい、喜び合う場です。その歩みを通して、共に生きることの大切さを身に着けていく場です。この学びこそが平和の基となると私たちは確信しています。
3学期は締めくくりの時、そして新たな歩みの準備をする大切な期間でもあります。お互いに助け合い、支えあいながら創りあげていく学びの多い場でもあります。子どもたち一人ひとりが、 そこでお互いにゆるし合い、認め合い、支えあいながら友情を深め、逞しく育っていけるよう全力で取り組んで参りたいと思います。
〈12月のえんだより〉
11月の中旬を過ぎてからにわかに気温が下がってきて、秋を越し、冬の始まりを感じるようになりました。気候が変動している影響か、季節の移ろいが以前とは異なっているようです。
幼稚園ではクリスマスの準備が始まりました。クリスマスの準備の期間はアドベント=待降節と呼ばれていますが、その意味はイエス様のいらしたことを思い起こし、また世の終わりには輝かしいお姿で再びおいでになることを待ち望む時でもあります。それは、とても静かで豊かな期間です。街中でみられるクリスマスの様子とはだいぶ異なります。
幼稚園では先週馬小屋を出しました。それはイエス様が馬小屋でお生まれになったことを思い起こすためです。
当時のローマ帝国で人口調査が行われたため、母であるマリアとヨセフはベツレヘムを訪れました。マリアは出産を間近に控えた状態だったので、さぞかし不安があっただろうと想像します。い くつもの宿屋に宿泊を断られたのには理由があったようです。当時の宿屋はいわゆる雑魚寝の宿泊施設でした。個室があったわけではないのです。なので身重の状態では旅館の方も泊めるわけにはいかないという事情もあったでしょうし、両親にとっても、そのような場所は安心して子どもを産める場所ではなかったと考えられます。そんな中で馬小屋はある意味で安心して子どもを産める場所であったということが出来たかもしれません。イエス様はヨセフと動物たちだけに見守られながら静かにお生まれになったのです。
このことは、イエス様がお生まれなった時、人間社会がそれを受け入れる準備が出来ていない、つまりそのような場が社会にはなかったことを象徴的に表しています。馬小屋だけがイエス様をお迎えする場だったのです。
救い主はそのようにおいでになりました。そしてこの世で、神でありながら人として生活し、十字架にかけられて死に、復活し天に上って永遠に私たち一人ひとりと共にいてくださっています。ですが私たちにそれが見えるかどうかは私たちの生き方にかかっています。
馬小屋は、私たち一人ひとりの心でもあります。心にイエス様をお迎えする場所を作ることを通して、私たちは神様の愛を知ることが出来ます。それは自分の周りにいる人を隣人として、友として受け入れることです。マザーテレサは出会う人全て がイエス様であると確信して奉仕を続けていました。それはお互いを大切にし、助け合い支えあうことがイエス様ご自身に親しく接すること、そしてイエス様と共に生きることと等しいことを意味しています。私たちは、このことを大切にしながらクリスマスの準備をしたいと思います。どうぞ、良いクリスマスをお迎えください!
〈11月のえんだより〉
運動会が終わり、子どもたちは一回りも二回りも成長したように感じます。すばらしい運 動会でした。保護者の皆様方の強いご支援をいただき、子どもたちも一生懸命頑張って、大きな成果を上げることが出来たと思います。ここで培った力は、生涯に渡って活かしていく ことが出来る、大きな力の礎になると思います。
11月は「感謝すること」の大切さを中心に保育を行っていきます。今月選んだ聖句で使 徒パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と 言っています。パウロという人の生涯は様々な苦難に満ちていたので、いったどうしてその ようなことが言えるのかと思ってしまいます。しかし、パウロが書いた様々な手紙を読むと、 本当にパウロは苦難の中で喜び、感謝の心に満ちていたことがわかります。それはパウロの 中に満ち溢れていた神さまの愛によ るものでした。
私たちにも愛され、大切にされているという信頼に包まれているとき、困難があっても喜 びを感じ、感謝の気持ちを表すことが出来た体験があると思います。感謝は、愛される喜び を通して自ずと現れる心です。喜びがあるから感謝出来るのです。本当の喜びは苦難の最中 にあっても見出すことが出来る力です。すべての源は愛にあります。
マザーテレサの言葉に「喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛」という言葉があります。また、 マザーは「愛の反対は無関心。ありがとうの反対は、あたりまえ」ともおっしゃいました。 深い意味を持つ言葉だと思います。マザーテレサは喜びの使徒といわれるように、深い喜び に満たされ、多くの人に喜びと希望をもたらした人でした。絶えず困難に直面しながらも、 このような生き方を深められたのはイエス様に愛されていることを確信し、それに応えた いとの強い思いに駆られたからだといいます。
「ありがとう」という言葉の反対は、「あたりまえ」というマザーの言葉は日本語にも通 じるものがあると感じます。日本語では有難いと漢字で書きますが、それはあらゆることが 当たり前のことではなく、本当に有難くかけがえのないものだから感じる心を表した言葉 なのだそうです。美しい言葉だと思います。人としてお互いの関わりが、有難くかけがえの ないものとなるためには、お互いを大 切にしあうことが必要です。このことを肝に銘じなが ら11月を過ごしていきたいと思います。
〈10月のえんだより〉
2学期が始まり、子どもたちは運動会に向け、一所懸命練習に励んでいます。様々な競技の技を磨くこともさることながら、お互いに協力し合い、助け合うことを学んでいくことが、運動会の準備として重要です。一日一日、努力を積み重ねていくことによって子どもたちは着実に成長していきます。その歩みを支えることが、私たちの務めです。
目標に向かって共に歩む時、チームワークが何よりも大切です。皆の力を活かしあうことで大きな力が生まれることは確かです。チームワークを通して築かれる絆は、何にも代えがたいすばらしいものです。
共に歩む歩みは、お互いをささげあう歩みです。時にはつらいこと、悲しくなることもあります。どうしたらよいのかと葛藤することもあります。その時こそ、チームワークが力を発揮します。励まし合い、慰めあい、ゆるしあうことによって、お互いの絆は深まり、仲間としての一体感が生まれます。
聖クララ幼稚園の2学期は色々な行事が目白押しに続きます。子どもたちは、皆で力を合わせて準備を進めながら、これから生きていくうえで、いちばん大切なことをつかみ取ることが出来るだろうと思っています。
イエス様の切なる強い願いは「皆が一つになるように」でした。皆異なっていても、お互いの違いを超えて一つになることのすばらしさをイエス様は身をもってあかしされました。お互いの一致があるところに、神さまが確かにいてくださいます。
違いを超えて一致するために、赦しあうことが不可欠です。赦すことはキリスト教の掟の中で一番難しいものだと思います。しかし、赦しがどんなに難しく、許容出来ない次元のものであっても、赦そうと意思をもつことによって、赦す力は与えられます。赦しはお互いの間に大きな癒しをもたらします。それは神様のお恵みです。聖クララ幼稚園の子どもたちは、日々、「ごめんなさい」と赦しあうことで、この恵みを確かに受け取っています。
〈9月のえんだより〉
長い夏休みが終わりました。
お休み中、皆さんは様々な体験があったと思います。気候変動によって酷く暑 い夏でしたが自然に触れ、家族やお友だちと過ごす中で、普段は味わえない豊かな体験を通して様々なことを学ぶことが出来たとしたら幸いです。子どもたちは大人とは比べる余地がないほど豊かな感性をもっています。レイチェル・カーソンという人が昔『センスオブワンダー』という本を書きましたが、聖クララ幼稚園の子どもたちも、この感覚をしっかり持っていて、羨ましく感じることがよくあります。自分自身も小さかったころには夏の太陽の強い日差し、川の水の冷たさ、とても広い海と塩の香り、森の木々、生い茂る葉っぱの匂い、虫たちの声にわけもなく感動し、小さな自分を遥かに超える自然の雄大さにただただ「すごい、すごい!!」と感じる日々があったことを覚えています。センスオブワンダーというのは、そのような感覚です。聖クララ幼稚園の子どもたちも、そのような感覚を豊かにもっています。そのころと比べると自然環境もだいぶ変わりましたが、それでも生命の輝きである自然に様々に触れることは今でも出来ることだと思います。自分を超えた存在に感動することは、大人になっても大切なことですが、それは神様との出会いに繋がる感覚でもあります。自然の美しさ、壮大さに感動する感覚は、それらの全てを創造された神様と出会う道でもあります。神様の愛がそこにあまねく現れているからです。それはイエス様の生き方を通して現わされた愛でもあります。
自分を遥かに超える存在、その愛と出会うことは、自分自身を正しく知り、活かすことにもつながります。一人ひとりは小さな 存在であっても、神さまから深く愛された存在であり、その愛の中で生きることを選択するとき、大きな力が与えられ、互いの違いの良さを活かしあいながら共に豊かに生きる道が拓かれます。
2学期は様々な行事があります。皆で力を合わせて作りあげていく様々な行事です。1学期の学び、夏休みの経験を活かして実りある日々を分かち合っていくことが出来たらと祈ります。長い夏休みが終わり、少し寂しい気持ちになる子どもたちもいるかもしれませんが、
『ナルニア国物語』の末尾に書かれているように「・・・ここからが本当の物語の始まり」です。もっと豊かで楽しい日々が始まります。一緒に頑張って行きましょう!
〈7月のえんだより〉
6月に入り梅雨の季節を迎え、気温の寒暖差が大きな日々が続きました。湿度も高くなり、体調を崩す方も少なくないようです。様々な感染症も増えており、聖クララ幼稚園でも健康管理の観点を重視しながら教育活動を進めております。
新年度を迎えた4月から日々、日照時間が長くなり6月末には一年で最も日照の長い夏至を迎えました。夏至は春 に芽生えた生命がいよいよ盛んになることを味わい、感謝する時です。ヨーロッパ等のキリスト教圏ではこの日を聖ヨハネ祭として盛大に祝います。国によっては祝日でお休みになっていたりします。この日には季節に合ったご馳走を作り、焚火を焚いて、ダンスをして夜更けまで楽しく過ごします。それは生命の輝きを祝う日です。
聖ヨハネはキリスト教で洗礼者ヨハネと呼ばれる聖人で、イエス様がいらしやった時代を生きた人でした。聖ヨハネは救い主であるイエス様がいらっしゃることによって拓かれる新しい真の生き方を証しした人でした。
季節は夏至に向かってで陽が長くなり、生命はいよいよ輝いていきます。しかし、夏至を過ぎると冬至に向け陽は日々徐々に短くなっていきます。それでも、生命は成熟、実り、完成へと向かうのです。
神さまからいただいた私たちの生命も、それを正しく、相応しく使いこなして生きることによってこそ成熟、実り、完成へと向かっていきます。しかし、生き方を誤れば、生命の輝きを損ねて、その破壊を招く結果をももたらします。戦争のような出来事はその最たる結果だと思います。生命を正しく、相応しく使い活かしていくために私たちは学ぶ必要があります。正しさの基準は愛にあります。
真の実りに向かう生き方とは、愛 を基にした生き方に他なりません。お互い、支えあい、助け合う生き方、それはシンプルですが、愛を要にして力強く、共に生きる生き方です。そもそも愛は神様から授かった生きる力で、死をも超えて永遠に生きていくための力です。
聖クララ幼稚園では日々、お友だちと共に過ごすことを通して、この生き方を学んでいきます。そして確かに子どもたちは少しずつ、学びを深めてきています。気遣いをしたり、親切な言葉をかけたり、トラブルがあった場合でも、それを乗り越えてお友だちとの関係を深めようとしたり等々。この小さな歩みの継続が、人生の豊かな実りに向かって開いていくと私たちは信じています。
皆様の上に神さまの豊かな祝福があるようお祈りいたします。
〈6月のえんだより〉
5月に入ってから夏のような猛暑、そして急激な気温低下など、寒暖差が非常に激しい日々が続きました。通常の自然現象ではなく、人間が介在する様々な事象を原因とした負の影響を感じざるを得ません。私たちの日々の生活が自然の恵みに支えられていること、私たちが自然と共生する存在であることを、子どもたちと共に感じ、味わい、考えていくことが出来ればと願っていま す。
これから梅雨期に入り、それを経て、夏に向かいます。季節が変化していくことを感じ取ることで、私たちは多くを学ぶことが出来ます。聖クララ幼稚園では、どろんこ遊びをすることが恒例です。どろんこ遊びは、神さまが創造された自然の恵みである土を体感することを通して、豊かな体験、学びを深める機会です。どろんこを目で見て、手で触れて、体中泥だらけになって遊ぶことは、神さまが与えてくださった身体感覚を豊かに育む良い機会でもあります。大人になってしまうと、泥は汚いものという観念にとらわれてしまい、ともすれば、その観念に支配されてしまうことがあります。このような観念によって生きることの喜びを狭くしてしまうこともあります。子どもたちは純粋に喜びを感じ取る力をもっています。どろんこ遊びの中に無垢な喜びを見出すことで、自然を愛おしむ心が涵養されます。お友だちと共に楽しみを分かち合いますので、お互いを大切にしあう心も育っていきます。生きるということは、喜びを分かち合うことによって紡がれていくことが大切です。子どもたちのどろんこ遊びが、たわいもない遊びであったとしても、それが自然と共生し、持続可能な地球環境を未来に向かって創造していく歩みの礎になると、私たちは信じています。
5月には全体朝礼も始まりましたし、マリア祭も皆でお祝いしました。皆で共に過ごす園生活がこれからも深まっていきます。色々慣れてくると、様々な壁にぶつかります。その壁を、お互いに助け合い、支えあうことで乗り超えることが成長の要となります。その歩みを温かく支援するのが聖クララ幼稚園の教育です。そのために教職員一同、日々誠実に歩んでまいりたいと思います。
6月はイエス様のみ心の月でもあります。溢れ出るほどの豊かな愛で私たちを愛してくださるイエス様の豊かな祝福をお祈りいたします。
〈5月のえんだより〉
青葉、若葉に風薫る心地よい季節を迎えました。カトリック教会で5月は聖母マリアの月でもあります。春から初夏に向かうこの月は、いのちの豊かさに力づけられ、希望を膨らます時だと思います。
毎朝、登園してくるお子様たちの姿を見ていると、そのことを強く感じます。新年度、幼稚園の生活が始まり、はじめのうちは泣いてしまったり、不安を感じたりしていたのに、今ではすっかり元気に楽しそうに通ってくるお子様たちの姿を見ることができます。その姿を見る時、いのちは日々成長するものであり、そのいのちを育むことは大人の責任であることを強く感じます。
子どもたちは、少しずつ小さなハードルを越えてい くことで育っていきます。ハードルを越えることには楽しいことでもありますが、自分には無理だと感じて気後れしたり、こわくなったりということもしばしばです。そのような時こそ、ハードルにチャレンジしてみること、そのチャレンジを皆で助け支えること、そうすることによって子どもたちは生きる力を豊かにたくわえ、楽しく生きるすべを身に着け、周りの人ともそれを分かち合うことが出来るようになっていいきます。
5月連休明けには年少さんのお弁当も始まり、全体朝礼やマリア祭などの行事も行われます。4月のハードルより少し高いハードルを皆で助け合いながら越えていく生活が始まります。慣れてきたからこそ、お友達同士の小さなトラブルがあったりルールを守ることに困惑したりすることもあります。それは皆で仲良く、楽しく過ごすことを学ぶ大切な時でもあります。聖クララ幼稚園では、この豊かな学びの時を活かすため、丁寧に一人一人と関わりながら、対処していきたいと思います。
聖母マリアの月である5月、母としてのマリア様の姿だけでなく、神さまの愛に信頼し、周囲の人、特に困難にあう人たちを思いやる心に学びたいと思います。マリア様の執り成しを通して、皆様の上に神さまの豊かな祝福があるようお祈りしたいと思います。
〈4月のえんだより〉
新たに聖クララ幼稚園の園長職を拝命いたしました伏島隆興と申します。よろしくお願いいたします。暖かな春の風を感じながら、復活祭の喜びのうちに、今年も、元気な新しいお友達を迎えることができましたことに心から感謝したいと思います。神様から与えられた無限の可能性をもつ子どもたちを大切に育むことが出来るよう、教職員一同全力を尽くしてまいりたいと思います。
新たに入園されたお子さんたちにとって、はじめは期待と不安が入り混じり、泣いて登園する日があると思います。大好きなお母さんと離れなければならないのですから当然です。聖クララ幼稚園では、ひとりひとりのお子さんの気持ちをしっかりと受けとめ、暖かく寄り添いながらその時々の状況に適った必要な援助をして参ります。一日も早くお子さんたちの中に輝く個性を見出し、笑顔で登園し、楽しい園生活が送れるように日々の活動を大切に進めて参りたいと思います。どうぞ御家族の皆様も温かく見守って下さい。
年中・年長組に進級されたお子さんも、新しい環境に少し戸惑う事があるかもしれません。その緊張や不安を和らげ安心して気持ちを表現し、穏やかに日々を過ごせるよう配慮致します。きっと新しいお友達を迎えた喜びの中、優しく声をかけ幼稚園の楽しさを伝えてくれる事でしょう。進級の緊張を大きな喜びに変え られるよう努めて参りますのでご安心下さい。そして、お母様同士も声をかけ合い、新しい環境に戸惑いを感じているお母様のサポートをして頂き、それぞれの経験を分かち合えれば良いですね。聖クララ幼稚園で出会ったひとつの家族として互いに支え合い心を合わせていきたいと思います。
何か心配な事やお困りの事などありましたら、いつでも声をかけて下さい。いつでも御相談に乗れるようお待ちしております。
いつも変わらない慈しみで見守って下さる神様の愛に信頼し、希望を持ってこの一年を歩んで参りましょう。
今年度も教職員一同、心をひとつにして子ども達の健やかな成長を願い励んで参ります。どうぞ皆様の御協力をお願いします。











