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園長先生のおはなし

25/5/31 22:00

6月に入り、梅雨入りの季節となりました。私は毎年梅雨期に入ると体に纏わりつくような湿気に鬱陶しさを感じます。ですが、この季節は果物類や野菜、お魚も美味しいものが出回るようになるので、総じてうれしい季節でもあるとも思っています。私の家では6月になると梅シロップや梅酒等を仕込みますが、気候変動の影響で、今年の梅は昨年以上に不作だと報じられていて、それが少し残念ですが!

5月のマリア様の月が終わり、カトリック教会では6月には「イエスのみ心」の月として、神さまの私たち一人ひとりに対する愛を思い起こします。6月にみ心の信心に励むという習慣があり、それは17世紀にフランスで始まった信心です。以前は「聖心」と標記されることが多かったです。当時、聖母訪問会という修道会の1人のシスターにイエス様が現れ、ご自身の心臓を取り出し、見せることによって、人類に対する神さまの燃え盛る愛の心を示されたことがこの信心のはじまりでした。その時代のヨーロッパでは、心臓に心が宿ると理解されていましたし、今でもハートのマーク(heart=心臓)が心や愛情を表しているのは、これに由来しています。

イエス様の私たち一人ひとりへの愛は、6月の聖句にあるような見失った1匹の羊を血眼になって探し回ることに例えられる愛情です。私は羊飼いのお手伝いをしたことがあります。羊という動物は、とても弱く、何かのきっかけで、群れと飼い主から離れて迷子になってしまうと、なかなか生きていくことが出来ません。他の動物に食べられてしまったり、転んで起き上がることが出来なくなったりして、死んでしまいます。羊飼いが何とか見つけ出すことが出来た場合は何とか、いのちをつなぐことが出来ます。そういうわけで羊飼いは、羊が1匹でも迷子になるととても心配で、いてもたってもいられなくなり、必死に迷子の羊を探すのです。迷い出てしまったのは、自分勝手な行動をした羊に問題があるのですが、そのようなことに関係なく1匹の羊のいのちを救うために全てをかけるのが羊飼いの姿勢です。神様の私たちへの愛はそのようなものだとイエス様ご自身がシスターに告げられたのです。

イエスのみ心の月は、このように私たちが神様に愛されていることを受けとめ、その愛に応え、少しずつでも、それに倣って歩んでいこうとする時です。その中で、特に赦しあう心が大切です。赦すという行為は、大きな愛の現れです。そこに痛みが伴いますが、赦すことによって、相手との関係は、より大きな愛の交わりに変容していきます。子どもたちにとっても、お互いに赦しあうことで、お友だち同士がもっともっと仲良しになっていく体験を積み重ねていくことが成長の糧になると思います。赦しあい、支え合い、助け合う関係性の中に、いつもイエス様がいらしてくださり、たくさんのお恵みをださるはずです。

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